呉越興亡 その2 <呉の伍子胥(ごししょ)>
伍子胥(ごししょ)の家は名家として、楚の人々の尊敬を受けてきた。楚王の五代後の平王は暗君だった。 伍子胥の父伍奢(ごしゃ)が侍従長として仕えていた。 平王は太子建のために秦から嫁を迎えたが、非常な美人だったため、自分が横取りして、忠言した伍奢(ごしゃ)を監禁した。太子建は宋に逃れた。
美人を王に斡旋した費無忌(ひむき)が平王に言った。「伍奢(ごしゃ)には息子が二人いて、どちらも傑物です。いまのうちに片づけておかないと」。 王は息子たちに出頭を命じた。出頭すれば父を釈放するという。 兄は命に応じようとしたが、弟の伍子胥は反対した。我々をも殺そうという魂胆が見え見えだという。 兄は出頭し、伍子胥は追っ手を退散させて、宋にいた太子建ともども諸国を歩き、鄭(てい)で太子建が殺されてから、呉に逃げ込んだ。 「史記の人間学」
