呉越興亡 その5 <越王勾践(こうせん)>

 前494年、夫差は精兵を率いて越を討った。 この時、越王勾践(こうせん)は名臣范蠡(はんれい)の反対を押し切って、呉の国境線を突破した。 呉の作戦は<我が懐ふかく敵を誘い込む>である。作戦に従って呉の兵は退いた。 

 太湖の夫椒山におびき込まれた越軍は、満を持した呉の精鋭に攻撃され、壊滅的な敗北を喫したのである。越王勾践(こうせん)は残兵をまとめて、退却したが、呉軍はあくまでも追撃してくる。 越の敗残兵五千は、故郷の会稽山に追いあげられた。雲霞のごとき呉の大軍が、山を十重、二重に包囲している。 絶対絶命である。

 <范蠡(はんれい)よ、おまえの言葉に従わなかったばかりに、こういう羽目に追い込まれた。すまない、、。> 勾践(こうせん)は范蠡(はんれい)の前にうなだれた。「小説十八史略」

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