呉越興亡 その9
会稽にこもった<越王勾践(こうせん)>を殺してしまえと力説したのは<伍子胥(ごししょ)>だった。彼は苦難に耐え忍ぶ勾践(こうせん)の強靭な意志をよく察知していた。 だが呉王夫差(ふさ)は、越からたんまり賄賂(わいろ)をもらった宰相の白嚭(はくひ)の意見にしたがって、勾践(こうせん)と和睦し撤兵した。
伍子胥(ごししょ)はなおも諫言する。孫武(孫氏)はもう亡くなり、諫言するのは伍子胥(ごししょ)だけである。<勾践(こうせん)は死なない限り、必ず呉の禍となります。皮膚病でなく、腹の中の病みたいなものです。> 呉王夫差は伍子胥(ごししょ)を煙たがった。「史記の人間学」
