呉越興亡 その14 <呉王夫差の死>
呉に敗れた越王勾践(こうせん)とその名臣范蠡(はんれい)は、「十年生聚(せいしゅう)し、十年教訓す」。十年の間兵力を培養して、十年これを教育し、訓練した。
「周の元王の四年、越、呉を伐つ。呉三たび戦いて三たび北(に)ぐ。夫差姑蘇(こそ)に上がり、亦成(またたいらぎ)を越に請う」。かつて越王勾践(こうせん)が会稽山でしたように、今度は呉王夫差が和平を越に請うたが、勾践(こうせん)の名臣范蠡(はんれい)がどうしても賛成しません。
観念した夫差曰く、「<吾以て伍子胥(ごししょ)を見ること無けん>。幎冒(べきぼう)を為りて乃ち死す」。伍子胥(ごししょ)に会わせる顔がないと、頭巾で顔を覆うて死んだ。「十八誌略・安岡正篤」
