呉越興亡 その20 陶朱猗頓(とうしゅいとん)の富
陶に移った范蠡(はんれい)は、陶朱(とうしゅ)と名乗った。范蠡(はんれい)は陶においても、また事業に成功した。利益は一割と定めて暴利を貪らず、貧窮者に手厚い保護を与える彼を、人々は<陶朱公>と呼んで、尊敬した。
「魯人猗頓(いとん)往きて術を問う。蠡(れい)曰く、<五牝(ごじ)を畜え>と」。范蠡(はんれい)を訪ねた猗頓(いとん)は五頭の牝牛を飼ってごらんと教えられた。そこで猗頓(いとん)は牧畜を十年の間にして富を得た。
世に巨万の富を称して「陶朱猗頓(とうしゅいとん)の富」というのは、陶朱と猗頓という、春秋時代を代表する二人の長者の名を冠したものである。 「范蠡(はんれい)・立石優」
