第二節 <三皇2・炎帝神農氏(えんていしんのうし)>

炎帝神農氏は、姜(きょう)が姓である。人間(と同様)の身体であったが、牛のような(怪異な)顔をしていた。風姓を継いで(王位に)立った。火徳の王であった。 木を切って鋤(すき)をつくり、木を曲げて鋤の柄として、はじめて(民に)耕地(の方法)を教え、(年末に、豊作をもたらした天神に報恩する)蜡(さ)の祭り①を始めた。 赤い鞭②で草木を打って(芽ぶかせ)、それらの草木を(試しに)なめてはじめて医薬と(なる薬草を識別)した。 人々に日中、市場を開かせ(収穫物を)交換して帰(りおのおの自足でき)るようにさせた。 陳を都にし(のち)曲阜(きょくふ)に移った。 (王位を)帝承、帝臨、帝則、帝百、帝来、帝襄、帝楡に伝えた。 (神農氏以来)姜が姓である者が全部で八代、五百二十年間続いた。 『十八史略 (現代語訳と解説) 竹内弘行』

① 蜡(さ)祭・・・毎年十二月に行われる報恩の祭り。

② 赭鞭・・・赤い色の鞭。 赤は五色のうちの火徳に配される。

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