第二節 <三皇3・黄帝軒轅(こうていけんえん)氏> その三
(黄帝は)ある時、(政治に疲れはてて)昼寝し、夢のなかで(無為にして治まるという)華胥(かしょ)の国①に遊んだ。その楽しさに喜ぶとともに(為政面で)得心することがあった。(それゆえ)その後、天下はよく治まって、まるで華胥の国のようであった。
世俗の伝承では、黄帝は、胴を採掘して鼎を鋳造した。鼎が完成すると、竜が出現した。あごひげをたらして下って(黄帝を天上に)迎えに来た。黄帝は(こうして)竜にまたがり昇ることになった。群臣や後宮の女官で従うことを許された者は、(わずか)七十人あまりだった。小臣はみな昇ることを許されなかった。(彼らは天に昇りたくて)竜のひげをにぎっ(てはなさなかっ)た。(そのため)竜のひげが抜け(黄帝の)弓が落ちた。(小臣たちは)その弓を抱いて泣いた。後世、その場所を鼎湖(ていこ)と名づけ、その弓を烏号(うごう)といった、という。
黄帝には、二十五人の子があったが、姓を得(て諸侯となっ)た者は、十四人であった。 『十八史略 (現代語訳と解説) 竹内弘行』
① 華胥(かしょ)の国・・・無為にして治まる理想の国
