戚継光と倭寇

 戚継光と言えば、<倭寇(わこう)>。

 「倭」は日本・日本人、「寇」は賊・外敵の意。13~16世紀、朝鮮、中国の沿岸を日本人が略奪したことに対する、朝鮮、中国側の呼称。 瀬戸内海、北九州の海賊が中心で、元来は私貿易が目的。 明の嘉靖(1522~1566)の頃には中国人の密貿易者も多かった。『広辞苑』

  倭寇にも、<前期倭寇>と<後期倭寇>と区別され、<前期倭寇>は主に日本人で、行動地域は朝鮮沿岸。 <後期倭寇>は中国人が多く、活動地域は中国沿岸。

 明の時代の武将・戚継光(1528~1587)が対戦した頃の倭寇は大海賊になっており、特に有名な大海賊の首領は、王直という中国人だった。

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