高麗と倭寇Ⅰ

 高麗は、蒙古の侵略や倭寇の活動に大きな打撃を受け続け、経済の危機、行政の停止に追い込まれる。 恭愍(きょうびん)王(1352~74)の治世における倭寇の特色は、

(1)行動の目標が、米穀などの生活必需品の獲得におかれていたこと。すなわち、租税としての米穀を運ぶ漕船と、それを備蓄しておく官庫とが主要な攻撃対象とされたこと。

(2)高麗の南部沿岸ばかりでなく主都開京(開城)付近にまで、しばしば攻撃していること。

(3)はじめ20艘くらいであった船団から、兵数3,000とか、船数400余とかいわれる大規模な倭寇があらわれたこと。

 などがあげられる。 『倭寇・田中健夫』

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