高麗と倭寇Ⅱ

 経済危機に追い込まれ、軍政も崩壊し、地方行政も停止状態に追い込まれた官軍は、倭寇の攻撃目標になりやすい沿岸地方の倉庫を内陸部に移す。 

 高麗王朝は恭愍(きょうびん)王(1352~74)から、辛禑(しんぐう)王(1375~88)の時代になり、倭寇の侵攻も極点に達する。

 辛禑(しんぐう)王(1375~88)の初年、高麗に入寇すると恐喝した日本人の藤経光を、誘殺しようと酒食を共して企むが、計画が漏れて失敗。経光は一党とともに逃れる。

 「高麗史」には、以前は侵略しても人を殺すことはなかったが、この事件以降は、倭寇の活動が凶暴さを増し、入寇するたびに婦女や幼児をみな殺しするようになったと伝えている。 『倭寇・田中健夫』  

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