高麗と倭寇Ⅴ
李成桂は阿只抜都の勇鋭を惜しくおもい、部下の豆蘭に生け捕りにするように命じた。豆蘭は「生け捕ろうとすれば、必ず負傷者が出ます。それに、かの人は顔に堅甲を着けているので、矢で射る隙がありません」と答えた。
そこで成桂は「自分がかれの兜の頂子を射よう。兜が落ちたら、汝がこれを射よ」といい、馬を躍らせて、これを射た。矢は兜の頂子に命中し、兜の緒が切れた。その人は、これを整えようとし成桂がさらにこれを射たところ、またも頂子に当り、兜はついに落ちた。そこに豆蘭が射かけ、これを殺した。
こうして倭寇軍は気がくじけ、成桂は大奮戦して倭寇軍を破った。『倭寇・田中建夫』
この時期、国内政治の乱れと経済破滅で滅亡直前だった高麗。李成桂は高麗王朝にかわる新王朝をひらき即位し太祖となる。国号を「朝鮮」とした。
