高麗と倭寇Ⅳ

 辛禑(しんぐう)王の時代に活躍した武将、李成桂は、のちの朝鮮王朝を建てた人物である。 1380年9月、南原山城の戦いの武勇伝。

 李成桂は、倭寇が放った矢にあたって負傷したが、ひるむことなく8人を殺した。そして太陽をさし、左右をかえりみて「卑怯者は去れ、われはただ賊を殺すのみだ」といった。 そこで将士は感奮して勇気百倍し、死力をつくして戦った。 けれども賊軍はうごかない。

 賊軍のなかに、わずか15,6歳の大将がいた。 容姿は端麗であり、しかも驍勇無比。白馬にまたがり、槍をふるって馳せまわり、これに敵するものがない。高麗軍はこれを阿只抜都(アキバツ)とよんで、できるだけ避けるようにした。

 アキは朝鮮語で「幼児」、バツは蒙古語で「勇敢無敵の士」を意味する。  『倭寇・田中健夫』   

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