明と倭寇Ⅲ

 明の太祖光武帝没後の1401年、足利義満は使節を派遣する。 国書には、「金1000両、馬10匹、薄様1000帖、扇100本、屏風三双、鎧一領、剣10腰、刀一柄、硯箱一合、文台一個を献上し、あわせて海島に漂寄したもの若千人をたずね出して送還する」という内容である。

 海島に漂寄した者とは、倭寇が中国沿岸で略奪して捕虜とした中国人のことで、義満は被慮人送還が明の第二皇帝・恵帝の意にかなう行為であると判断したであろう。

 遣明使は翌年1402年、明使とともに帰国した。 明使がまだ日本に滞在している間、明では成祖(のちの永楽帝)が即位。1403年、成祖を賀する使節を朝貢させた。

 遣明船は1401年から1547年にいたる約150年のあいだに19回派遣された。遣明船は建て前は朝貢船で同時に物資交換の貿易でもあった。 『倭寇・田中建夫』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

前の記事

明と倭寇Ⅱ

次の記事

明と倭寇Ⅳ