明と倭寇Ⅳ
明朝の外国貿易をささえた一本の柱が朝貢船の制度であったとすれば、他の一本の柱は海禁の制度であった。 海禁とは中国人が海上に出て外国人と接触することを禁じたもの。
この二つの政策は表裏の関係をなし、海賊団の横行を防止するための治安策であるとともに、政府の外国貿易独占を維持する財政政策でもあった。
海禁を無視して洋上に船を出し、海上で密貿易を行ったのは、福建、広東、浙江などの諸地方の塩商人と米商人を中心とする商人群である。
やがてこの地方には、ヨーロッパ船の北上や遣明船の廃止にともなう日本人の参加があり、東シナ海を舞台とした大倭寇発生の条件が充分にととのえられたのである。 『倭寇・田中建夫』