明と倭寇Ⅶ

朱紈は、密貿易や海寇の原因を、明国内の郷紳や権勢家のなかにみていた。 かれの言葉に「外国の盗を去るのはやさしいが、中国の盗を去るのはむつかしく、中国瀕海の盗を去るのは猶やさしいけれども、中国衣冠の盗を去るのが最もむつかしい」とある。

中央や地方の代官や勢力家が密貿易家と馴れ合いで私服をこやしていたのを痛烈に避難したのである。

雙嶼の壊滅後、浙江・福建沿岸の郷紳やこれと結ぶ官僚たちはこぞって反朱紈の運動を展開した。

朱紈は弾劾をうけて官職を奪われて北京に召喚されることになったが、かれはこれをいさぎよしとせずに、雙嶼壊滅後の翌年、1549年自殺した。『倭寇・田中建夫』

 

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