文武の名将 大田道灌

 扇谷上杉氏は、武蔵河越城(川越)を拠点としていたが、家宰の大田道灌に命じ、河越城を修築するとともに、防御を強固にするため、その支城として江戸城を築かせる。 

 道灌は一年で完成した。城は三つの郭からなり、石垣の高さは十数丈、まわりに深い堀をめぐらし、橋は太い材木でかけられ、正門は鉄の扉で固められていた。 その中に道灌の風雅な屋敷があった。彼はそこに京の文人達を招いて、歌の会や詩の会をした。「人物・日本の歴史」

 鷹狩りに出掛け雨にあい、農家で雨具の蓑を借りようとしたが、貧しい農家では蓑は無く、代わりに、出された山吹の枝に、腹を立てる。 後に、その意味を知り、恥を感じた道灌は、歌道に精進したという。 

文武の名将 大田道灌” に対して2件のコメントがあります。

  1. kurakura より:

    川越の市役所の敷地の片隅に狩のふん装の
    大田道灌の銅像があります。昔の人は身長がないのかな~と思うほど小さいけど(*^-^
    今川越はNHKの朝ドラ つばさでスポット
    を、浴びています。
    ぜひお出かけください。

  2. youko-hime より:

     今日はあいにくの雨でフェスタ参加が中止になりました。あちこちから応援が来てくれるんだったのに残念。少し落ち込んでいます。皆と楽しめるはずだったのに!

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