佳書を読む

本を読むことは好きである。昔はジャンルに関わらずどんな本でも読んでいた。ロシア文学、イギリス探偵小説、スパイ小説、歴史小説などなど。祖母に、<手当たり次第に読むのではなく、良いものを何度でも読みなさい>と言われていた。面白い本がたくさんあるのに、どうして同じ本を何度も読まなければいけないのかな?と思っていた。

大学のゼミの先生が、<今は君にはまだ早いが、40歳過ぎたらこの本を読むことを薦めるよ>と、塚本虎二訳の『福音書』を見せられた。文庫本で本の角は丸くなっていて、先生が沢山書き込まれた文字にも驚いた。40歳過ぎて本を購入し、途中まで読んで挫折した。

「佳書とは、それを読むことによって、われわれの呼吸、血液、体液を清くし、精神の鼓動を昴めたり落ち着かせたり、霊魂を神仏に近づけたりする書のことであります。佳い食物もよろしい。佳い酒もよろしい。佳いものは何でも佳いが、結局佳い人と良い書と佳い山水との三つであります。しかし佳い人には案外会えません。佳い山水にもなかなか会えません。不幸にして佳人に会わず、佳山佳水に会わずとも、佳書にだけは会いたいものです。」『安岡正篤 人間学』

書店に行った。目にパッと飛び込んできた『宋名臣言行録』を購入した。

 

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