中国古代名剣 その5

 越の欧治子(おうやし)が作って呉の国に渡った名剣<魚腸(ぎょちょう)>は短剣です。その後、鉄の産地の呉の国で<魚腸>はたくさん作られます。
 
 呉王はある日、呉国を訪れた剣について見識のある魯国の大臣に<魚腸>を見せます。魯国の大臣はこれを見て<この短剣はいけません。将来呉王に災いをもたらします。剣身の紋が不規則で、ことわりが無く乱れ、色蒼く殺気に満ちています。子が持てば親を殺し、臣下が持てば王を殺すでしょう> これを聞いて、呉王は所有していた3000本の魚腸剣を先祖の墓に埋葬します。
 
 <魚腸の剣は、天道に逆らい従わぬ剣で、天道に服することがないでしょう。臣が君を殺し、子が父を殺すためにある剣です>「呉越春秋」  

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください