中国古代名剣 その9
越国の王冶子(おうやし)が作った名剣、湛慮(たんろ)は、楚国に渡り、魚腸(ぎょちょう)は呉国に渡りました。 魚腸(ぎょちょう)剣を暗殺に使用し、闔閭(こうりょ)は呉王になりました。
呉国にも、王冶子(おうやし)とならぶ、干将(かんしょう)といわれる名匠がおりました。王冶子も干将も同門という説もあります。 呉王闔閭(こうりょ)は干将にふたふりの剣を作るように指示します。 干将(かんしょう)には莫耶(ばくや)という名の妻がおります。
「千字文、李注」に書かれている<越王は呉王に、湛慮(たんろ)、莫耶(ばくや)、魚腸(ぎょちょう)の名剣を渡した>というのは間違いかもしれません。