中国古代名剣 その3

 越王から呉王が手に入れた<湛盧>は後に楚王の元へ行きます。<湛盧>は無道の者から有道の元へ移る剣だからです。
 
 呉王闔閭には滕玉という娘がいました。ある日、呉王は、楚を伐つことを考えながら、夫人と娘と一緒に食事をしました。呉王は料理の魚を半分食べてから娘に残りを与えました。 残り物は、奴隷に与えることと同じですから、娘はそれを怒って「王は私を辱めました。これ以上生きていられません」と言い自殺をします。 闔閭は驚き悲しみ、たくさんの宝物と娘の死の旅立ちを誘導するために大勢の男女の生者を殉葬させます。 
 
 <湛廬>の剣は、このような闔閭の無道を憎み闔閭の元を去って、川の流れに沿って楚に入国しました。「呉越春秋」
 
 
 

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