ジャヤワルデネ前セイロン首相

 1951年、サンフランシスコで行われた終戦対日講和会議で、日本の故吉田茂首相が48カ国と調印して、「サンフランシスコ平和条約」が出来ました。 その会議場で、セイロン国を(現スリランカ)代表して、ジャヤワルデネ首相は日本に対し、賠償請求を放棄すると宣言し、日本と日本国民に深い愛情と理解を示されたそうです。 

 仏陀の言葉を引用し、「怨みに報いるに、怨みを以ってしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ、これは永遠の真理である」と。さらに「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本が必要である」と、日本の分割論に反対して、主張を退けたジャヤワルデネ首相です。

 セイロンがスリランカという国になり、初代大統領になったジャヤワルデネ氏。 親日家で亡くなる時、自分の角膜は日本の人にあげるように遺言されたそうです。

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